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山崎 直子(やまざき なおこ、旧姓:角野(すみの)、1970年(昭和45年)12月27日 - )は、宇宙飛行士。宇宙政策委員会委員(2012年7月 - )、女子美術大学客員教授(2014年4月 - )。千葉県松戸市生まれ。 == 来歴 == プラネタリウムやボイジャーが送ってきた画像、アニメの宇宙戦艦ヤマト〔JAXA|山崎直子 初めての宇宙飛行に向けて~子どもに宇宙の素晴らしさを伝えたい~ 〕などから影響を受け、またチャレンジャー号爆発事故のニュースを受け「亡くなった宇宙飛行士たちの意思を引き継いで、宇宙の素晴らしさを子供たちに伝えたい」と思い、宇宙を志した。 東京大学大学院工学系研究科修了後、宇宙開発事業団に入社。国際宇宙ステーションの開発業務に従事しながら宇宙飛行士を目指し、入社3年後、2度目の受験で宇宙飛行士に選抜された。日本人女性宇宙飛行士としては向井千秋に続き二人目。2006年2月に、アメリカ航空宇宙局(NASA)の搭乗運用技術者に認定され、2008年5月には搭乗者支援宇宙飛行士として土井隆雄のミッションを支援した。 2010年4月にISS組み立てを主任務とするSTS-131(19A)ミッションに参加、ロードマスター(物資の移送責任者)として移送物資の管理や、作業の指揮を担当した〔ISS・きぼう広報・情報センター 19Aミッション結果要約 〕。 2010年4月5日(日本時間、以下同)、スペースシャトルディスカバリーに搭乗しケネディ宇宙センターから打ち上げ、飛行二日目にはシャトルのロボットアームとセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)を使い軌道上で機体の点検を行う。7日にISS到着、ISS23次長期滞在中の野口聡一飛行士らに迎えられる。滞在中は、ステファニー・ウィルソン飛行士と共にISSのロボットアームを操作し補給物資を搭載した多目的補給モジュール「レオナルド」をシャトルの貨物室からISSへ移動、その後他の飛行士と共にレオナルドから実験ラックや冷凍冷蔵ラック、個室ラックなどの機器や資材、補給物資の搬入を行った〔(ISSからレオナルドへの搬出も同様。移設物件の内訳についてはミッション記事を参照)。これらの任務の他、地上との交信行事やきぼうで持参の琴(特注の小型の物)の演奏や俳句の創作と募集なども行った〔47News 宇宙で笛と琴の演奏 山崎さんと野口さん 2010年5月3日閲覧 〕〔ISS・きぼう広報・情報センター 俳句募集 〕。17日にディスカバリーでISSを離脱し、20日ケネディ宇宙センターに帰還した。 スペースシャトルは2011年(平成23年)限りで退役したため、山崎は日本人として最後のシャトル搭乗者となった。国際宇宙ステーション(ISS)の日本人女性初の長期滞在も期待されていたが、2011年8月に引退を表明。これによって、要員減で日本の宇宙計画の練り直しが必要になった。国際宇宙ステーションでは、一般人の宇宙生活実現に向けた女性の医学データの取得なども検討されていた〔古川さん 長期滞在から帰還 有人宇宙開発、重い宿題 産経新聞 11月23日(水)7時55分配信〕。 2012年7月に宇宙政策委員会委員、2014年に女子美術大学客員教授に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山崎直子 (宇宙飛行士)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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